関連フレームワーク:
バックキャスティング, ループ図
背景・問題
強力なリーダーシップを持っていた町長や町役場の管理職の世代交代への危機感
「次はどうするのか」という次世代の住民や職員の迷いと、既存の縦割り行政の限界
建前ではない、実行を伴う持続可能な戦略の必要性
起こした変革
「システム思考(ループ図)」を用いて町の目指すべき将来像や抱えている課題の構造を可視化し、官民・部署を超えた共通の地図を構築
策定プロセス自体を官民の次世代リーダー育成の場に活用
生み出した価値
「自分たちが挑戦しなければ循環が止まる」という当事者意識(自分事化)の醸成
官民共創による第三セクター(AMAホールディングス)の設立や、民間主導の事業承継など、具体的なプロジェクトの誘発
部署や立場を超えて全体最適を考える組織文化の定着
変革のストーリー

課題は「挑戦の連鎖」を次世代へどう継承するか
島根県隠岐諸島に位置する海士町は、かつて人口の大幅な減少に直面しながらも、新たな産業創出や教育改革などで自立に向けた挑戦を続けてきました。島根県のブランド認証を受けた岩牡蠣「いわがき春香」の販売は町の基幹産業に成長していますが、鮮度を保ったまま全国に出荷できる水産加工施設を建設したことがその基盤となりました。また、入学者数が減少し廃校の危機に陥っていた隠岐島前高校は、島外から学生を積極的に呼び込む「島留学」の推進により生徒数のV字回復を実現するなど、2000年代以降の改革は大きな成果を上げました。
一方で、2010年代半ばには新たな課題も顕在化していました。それまで海士町の挑戦や改革を強いリーダーシップでけん引してきた当時の山内道雄町長が高齢になり、山内町長とともにまちづくりを担ってきた町役場の管理職も定年に近づいていました。「世代交代」の時期が迫る中で、若手・中堅職員や住民の間には、「今のリーダーたちがいなくなったらどうなるのか」「次は何をすればいいのか」という迷いや危機感が漂っていました。
そこで海士町は、今後も海士町に住み続け、まちづくりを将来にわたってけん引できる次世代の人材に地方創生の計画策定を託すことにしました。当時はちょうど、国から地方版総合戦略策定の要請があったタイミングでもありました。こうした背景から、2015年、海士町版総合戦略の骨格となる戦略プランを作るための住民参加型会議「明日の海 士をつくる会(通称:あすあま)」を立ち上げ、「20代から40代までの男女で、戦略を策定するだけでなく自ら成し遂げたいという強い思いをもつ者」という条件でメンバーを公募しました。
最終的に集まった20人のメンバーは、漁業、建設、福祉などの事業に従事する民間の人材と行政職員が半々、地元出身者とIターン者(移住者)が半々という多様でバランスの取れた構成となりました。募集直後に若手行政職員や商工会青年部のメンバーが手を挙げ、彼らが各分野のキーパーソンになり得る人材に個別に声をかけて応募を促していった結果です。あすあまの事務局も、行政職員2人に加えて、島内で人材育成や地域課題解決に向けたプロジェクトを手掛ける民間人材も参画するハイブリッドな体制にしました。
システム思考導入の狙いと戦略プランの策定プロセス
あすあまにおける戦略プランづくりでは、さまざまな課題を単独の事象として 表面的に捉えるのではなく、課題の背後にある要素同士のつながりや構造全体を踏まえて全体最適を考えるアプローチ方法として、「システム思考」を全面的に取り入れました。その目的は主に二つです。
一つは、組織横断的な取り組みをメソッド化することです。小さな離島である海士町では、教育、産業、福祉などが密接に絡み合っており、官民や行政の縦割りの壁を越え、関係者が俯瞰的な全体最適の視点と当事者意識の両方を持つ必要があります。それまでも、「建設会社が隠岐牛(肥育牛)のブランド化に取り組む」「財政課が島留学を推進する」など、所属や部署の壁を越えた施策はありましたが、当時のリーダーたちの「直感」や「センス」に依存した取り組みでもありました。こうした取り組みを次世代に継承し、再現可能なものにするためのメソッドとして、システム思考を導入する必要があると判断しました。
もう一つの目的は、コミュニケーションの場の再生です。かつては青年団などが機能し、次世代のまちづくりを担う人材が官民混合で議論する場がありましたが、それが失われていました。システム思考を活用し、町の将来や抱える課題を構造化して捉え、戦略を策定するというプロセスでは、非常に濃密かつ膨大なコミュニケーションが発生するため、その価値を重視しました。
また、システム思考に着目したきっかけは、事務局の民間人材の提案でした。さらに、その人脈を活用し、外部アドバイザーとしてシステム思考の第一人者・枝廣淳子氏(当時は東京都市大学教授)を招聘することができました。あすあまや事務局の官民ハイブリッド型構成の強みが生きた形です。
戦略プランと第1期総合戦略策定の成果
システム思考による戦略プラン策定は、まず枝廣氏の講義によって、過去の海士町のまちづくりがいかにシステム思考的だったかを紐解くところから始めました。それを踏まえて取り組んだのが、2050年のありたい海士町の姿から現在取り組むべき課題を洗い出す「バックキャスティング」というプロセスです。現状の課題から積み上げるのではなく、あすあまメンバーのさらに次世代にとってより良い海士町を目指すべく、35年後(2050年)の「ありたい姿」を描き、その実現のためにはどんなものを増やしたり、残したりしないといけないかを全員でディスカッションしました。大まかな結論としては、文化や暮らしを大切に する島であることが観光客や移住者を呼び込むことになるという考え方を基本とすることになりました。
さらに次のプロセスでは、ありたい姿の実現に向けた地図として「ループ図」を作成しました。ループ図はシステム思考を実践するための主要な技法の一つです。ありたい姿の実現に影響する要素を洗い出し、それらの因果関係を分析して矢印で結びます。目指すべき将来像がどのような要素で構成され、要素同士がどう影響しあっているのかという構造を明らかにするとともに、好循環を生み出すためのポイントを探りました。
あすあまでは全13回の会議のうち、大半をこのループ図の作成に費やし、メンバーは仕事終わりの夜間や休日に集まり、毎回4時間にも及ぶディスカッションを行いました。当初は「要素を付箋に書き出して矢印で結ぶ」という慣れない作業に疲労困憊し、戸惑う声もありましたが、最終的に30枚を超えるループ図を作成しました。それらを集約して骨格を抜き出し、最終的に戦略プランの核となるループ図を仕上げました。

図1 第1期総合戦略のベースとなったループ図
ループ図を作成するための膨大な議論は、メンバーの意識変革を強く促す結果になりました。「教育」と「産業」、「福祉」と「観光」など一見無関係に見える分野が複雑につながり合っている事実をメンバー間で共有できたことは大きな成果です。そして、作成したループ図の矢印をたどっていくと、全ての循環の起点が「挑戦する人」に集約されていることが明らかになり、「循環を止めているのは、挑戦していない自分たち自身ではないか」「挑戦する人をどれだけ増やせるかが海士町の持続可能性を高める」という重要な気づきも得られました。この気づきが、計画づくりを「他人事」から「自分事」へと変えたと言えます。戦略プランと総合戦略策定の最大の成果は、プランそのもの以上に、このプロセスを通じて官民双方の次世代リーダーたちに「当事者意識」が醸成されたことでした(当時、町役場の管理職からは、『計画づくりは人づくりである』という本質的な言葉も寄せられました。)。
海士町におけるループ図作成体制・プロセスのポイント
海士町では、役場職員だけでなく、第一次産業、福祉、教育など多様な職種の住民を半々の割合で混合させました。これにより、「教育への投資が産業にどう影響するか」といった多面的な因果関係を描くことが可能になりました。
方法論を指導する外部専門家(枝廣氏)に加え、日々の議論を支える地域内の事務局(民間企業)を配置しました。行政だけで抱え込まず、プロセス設計とファシリテーションに予算措置(投資)を行ったことが、質の高い対話を実現しました。
ループ図は一朝一夕には完成しません。海士町では一つのループ図作成に1回あたり最低2時間をかけ、全13回の会議を行いました。「なぜそうなるのか?」を問い続ける膨大なコミュニケーションこそが、参加者の納得感と当事者意識を生み出すカギになります。
Knowledge 「ループ図」の基本的な描き方 ①変数の抽出:まず、実現したい目標や解決したい課題に関わる重要な要素を洗い出します。ポイントは、「人口」「モチベーション」のように「時間経過と共に増減するもの(変数)」を名詞で書き出すことです。 ②因果関係の分析と表現:要素間を「原因→結果」の矢印で結びます。さらに矢印の先に、原因が増えた時に結果が同じ方向に動くのか、逆方向に動くのかを記述し、影響の質を定義します。影響の向きが同じ場合は「S」(Same)や「同」「+」、影響の向きが逆の場合は「O」(Opposite)や「逆」「-」と表現します。 ③ループの特定:矢印が一周して戻ってくる「循環」を見つけます。その上で、変化を増幅させる循環なのか、安定・収束させる循環なのかを特定し、システム全体の構造と適切な打ち手を読み解きます。 ![]() 図2 ループ図の例(出典:チェンジ・エージェント) |
システム思考がもたらした具体的な成果
2015年の海士町版総合戦略で描かれたループ図は、その後の10年間で、行政と民間をつなぐまちづくりの「地図」として定着しました。「自分の仕事が、町全体の構造のどのループに貢献しているのか」を常に意識する文化は、行政の縦割りを解消するだけでなく、島内の民間事業者にも全体最適に基づいた意思決定を促しています。
象徴的な島内の事業承継事例があります。経営者の高齢化により廃業の危機にあった板金屋を、かつてのあすあまメンバーだった空調設備会社の経営者がM&Aで引き継ぎました。単なる自社の利益追求ではなく、「板金屋という機能が失われると、車の修理や車検ができなくなり、島の交通インフラというシステム全体が回らなくなる」という、ループ図的な全体俯瞰の視点があったからこその決断でした。システム思考の考え方がループ図の作成プロセスを通じて官民双方の次世代リーダーに浸透したことで、民間が自律的に「地域に必要な機能」を守る動きが生まれています。
また、次世代のまちづくりのための体制整備としては、 2018年に第三セクターの「AMAホールディングス」を設立しました。これにより官民の共創が加速し、多様な地域課題をビジネス的な手法も取り入れて解決する体制が稼働しています。
経済的なインパクトという観点でも、成果が積み上がってきました。「Ento(エントウ)」という新たなホテル事業に20億円規模の投資をして、運営主体である株式会社AMAの売り上げは従来の約1億円から3億円に成長したほか、従業員数も約3倍に増加するなど、雇用の創出にもつながっています。ふるさと納税などを原資に、「未来共創基金」という新たな挑戦者を支援する基金を設立し、挑戦する人を増やすための資金の循環も加速しています。
総合戦略の定期的な見直しとループ図のアップデート
海士町版総合戦略策定から5年後の2020年には内容を見直し、第2期海士町創生総合戦略を策定しました。第2期は行政職員(管理職含む)が中心となり、KPIの見直しなどを行いました。そして2025年には第3期の総合戦略を発表しています。
第3期の総合戦略では、システム思考のアプローチを継続し、ループ図を大幅にアップデートしています。この10年間の取り組みで充実した要素(赤色:教育魅力化や若者の還流など)と、課題が残る、あるいは深刻化した要素(紫色:住宅不足、医療人材、出会いの機会など)を色分けしました。これにより、次はどこにリソースを集中的に投下して充実させるべきかを明確にしています。
また、人口減少が避けられない中で、定住人口だけで島を維持する考え方からの脱却を図りました。最新のループ図には、システムの構成要素として「滞在人口(大人の島留学生など)」や「関係人口(海士町オフィシャルアンバサダー)」を正式に組み込みました。さまざまな領域の担い手不足に対し、定住者だけでなく、島外の人々が循環的に関わることでシステムを維持・発展させる新たな「地域経営人口プラン」を描いています。

図3 第3期海士町創生総合戦略でアップデートされたループ図
今後の展望:「地図」をみんなで更新する未来へ
これまでの海士町総合戦略策定では、官民のコアメンバーや行政職員による「深掘り」が中心でしたが、現在はその輪を「横に広げる」フェーズに入っています。現在、若手住民から「あすあまのような議論の場が欲しい」という声が上がっており、定住者だけでなく、大人の島留学生やアンバサダーも巻き込んだワークショップを計画しています。
さらに、デジタルツールを活用し、物理的に集まれなくても多様な人々がループ図の更新などを通じ、町づくりに参加できる仕組みづくりも模索しています。 10年前に蒔かれたシステム思考の種は島の文化として定着し、多様な人々が関わるまちづくりに取り組むための土台となっています。
まとめ
a. 本ケースの特徴的な点
「あすあま」という官民若手混成チームによる議論をシステム思考の専門家がサポートする体制をとることで、質の高い対話を実現し、参加者の納得感と当事者意識を生み出した。
戦略策定の議論で用いたループ図を一過性のものとして埋もれさせてしまうのではなく、日々の意思決定や連携のための「共通の地図」として、10年間活用し続けている。
「全体最適」の視点が庁内のみならず民間にも浸透したことで、民間主導の地域社会課題解決プロジェクト(事業承継など)が生まれている。
b. 当該手法の活用に係る留意点・前提条件、再現可能性に関するコメントなど
システム思考の導入は「特効薬」ではなく「漢方薬」。導入 してすぐに結果が出るものではなく、海士町のように粘り強く対話を続け、文化として定着させる覚悟が必要
当初の「あすあま」のような、心理的安全性が確保された集中的な対話の場を設計できるかどうかが、その後の定着度を左右する。
取組者/編著者プロフィール
濱中香理
1976年海士町生まれ。2002年町役場入庁後、「いわがき春香」「隠岐牛」「CAS水産加工場」など産業振興に従事。2015年から島前高校魅力化プロジェクトや地方創生戦略を担当し、離島に若者の還流を起こす「大人の島留学」を立ち上げる。2019年から郷づくり特命担当課長、2022年からは教育委員会共育課長を兼務し、小中学校の魅力化にも取り組む。

関連フレームワーク
システム思考:グループモデル作成プロセス(チェンジ・エージェント)
関連スキル
システム思考

