横浜市
デザイン思考・システム思考による行政サービスやサイト・アプリの企画とデザイン ― 横浜市子育て応援サイト・アプリ「パマトコ」を例にして ―
編著者:
横浜市最高情報統括責任者(CIO)補佐監 福田次郎

デザイン思考・システム思考は、これからの行政サービスの企画・設計、特に市民のニーズを捉えたデジタルサービスの企画・設計に有効な手法です。
横浜市は、子育て世帯に優しい都市を目指しており、2024年7月に子育て世帯向けサイト・アプリ「パマトコ」をリリースしました。このアプリは、子育て関連手続きをオンライン化し、電子母子健康手帳機能や子育てに関する情報・イベント情報提供など、多くの機能を提供しています。
本稿では、「パマトコ」のサービスの企画と基本設計からリリースまでのプロセスにおいて、デザイン思考やシステム思考をどのように活用したのか、その取り組みを解説します。
関連フレームワーク:
CVCA, WCA, バリューグラフ, シナリオグラフ, ピュー・コンセプト・セレクション
背景・問題
横浜市は、人口減少局面に突入しています。人口の減少は財政悪化や市民サービスの低下につながるため、子育て支援の強化が重要な課題となっています。同時に、少子高齢化により生産年齢人口が減少し、高齢者の比率が増加している現状では、少ない行政職員で効率的に市民サービスを提供する仕組みが求められています。
妊娠や出産、子育てにかかる負担を軽減して、子育て世帯を応援し、子育てしやすい街を実現することが横浜市の重要な戦略目標となりました。その施策の一環として、スマートフォンを活用したオンライン手続きの導入や、妊婦や子どもの健康管理の電子化、母子手帳のデジタル移行を通じて、保護者の負担を軽減することになりました。
起こした変革
「パマトコ」は、子育て世帯を対象としたサイト・アプリです。当初は、既存のパッケージやクラウドサービスの転用も検討されましたが、子育てにおけるさまざまなシチュエーションでの多様なニーズに応えるため、0からニーズの分析を行い、サービスをデザインして、システムに必要な機能・要件を設計して構築することになりました。
デザイン思考は、ユーザーのニーズを理解し、創造的な解決策(サービス)を生み出すプロセスであり、システム思考は、問題を全体的に把握して論理的な思考で解決手段(ソリューション)を見出すプロセスです。これまでにない、新しいサービスを企画・設計するのに有効な思考の方法(メソッド)です。
子育て世帯を対象として、さまざまなサービスを統合して提供するサイト・アプリは、本市において前例がない新しいサービスであり、市民のニーズに沿ったサービスを確実に実現するため、このデザイン思考・システム思考の手法を取り入れたサービスの企画・設計を行い、実装までの検証を行いました。
デザイン思考・システム思考を適用したことにより、サービスデザインとシステム開発、そのマインドセットにおいて、以下のような変革をもたらしました。
■サービスデザインにおける変革
市民中心のサービスデザイン
従来の行政サービスは、行政側の視点で設計される傾向がありました。しかし、デザイン思考を取り入れることで、市民のニーズや課題を深く理解し、それを起点としたサービスデザインへと変革しました。
共創によるデザイン
市民や職員を巻き込み、インタビューやヒヤリングを通じて、共にサービスを創り上げていくスタイルへと変化しました。
継続的な改善
一度作ったサービスをそのままにするのではなく、利用状況やフィードバックを収集し、継続的に改善していくサイクルを確立しました。
■システム開発における変革
アジャイル開発
自治体のサービスシステムにおいて、検討に応じた仕様の変更や、ニーズの変化に柔軟に対応できるアジャイル開発を実現しました。
プロトタイピング
試作を行い、ニーズの検証と改善を繰り返すことで、開発期間を短縮しつつ品質の向上を図るアプローチを実現しました。
疎結合と外部連携
他のシステムやサービスとの結合・連携を前提とした設計とすることで、サービスの拡張性やデータの連携など、さらに利便性を高めることのできるシステムを実現しました。
■マインドセットの変革
市民中心
行政職員のマインドセットが、行政中心の「提供する側からの視点」から市民中心の「利用する側からの視点」へと変化しました。
課題解決
課題を見える化し、それを解決するためのアイデアを創出し、企画・設計するという、課題解決型のアプローチを実践しました。
データ活用
サービスの利用状況や市民の声などのデータを収集、分析・活用して、より良いサービスを提供しようとする意識が高まりました。
生み出した価値
デザイン思考・システム思考による、サービスデザイン・システム開発の変革は、以下のような効果をもたらしたと考えられます。
市民満足度の向上
デザイン思考のプロセスを通じて、市民のニーズを深く理解し、それに合致したサービスを設計・提供することで、市民満足度を高めることができました。ユーザビリティや利便性も向上し、その結果、市内の新生児が生まれる世帯の95%が利用登録しています。
サービスやシステム開発の成功率の向上、予算や人的資源の効率的な活用
これまでの、思いつきや思い込みによるサービスの企画やシステム開発による、サービスの失敗や使われないシステムを減らし、成功の確度を高めることができます。結果として、予算や人的資源の効率な活用に繋がりました。
同時に、職員の創造性を刺激し、より良いサービスを生み出すためのアイデア創出を促進しました。
組織の活性化・職員の能力向上
市民中心のサービス提供という共通目標を掲げることで、職員の意識改革を促進し、組織全体のモチベーション向上に繋がりました。また、デザイン思考やシステム思考に触れることで、職員の施策立案やサービス企画の能力も向上しました。
横浜市の事例は、デザイン思考とシステム思考が行政サービスにもたらす変革の可能性を示唆しています。
変革のストーリー

1. デザイン思考・システム思考と子育て応援サイト・アプリ
デザイン思考・システム思考は、これからの行政サービスの企画・設計、特に市民のニーズを捉えたデジタルサービスの企画・設計に有効な手法です。
横浜市では令和4年に策定・公表した「横浜DX戦略」のなかで、「デジタル×デザイン」をキーワードに、「デジタル化の波をただ受け入れるだけでなく、その恩恵を市民や地域に行きわたらせ、魅力溢れる都市をつくるために、自らイニシアチブをとり、デジタルの実装を、デザインする」をモットーに、デザイン思考・システム思考で新しい行政サービスをデザインしていくことを目指しています。
一方、横浜市は日本最大の人口を持つ基礎自治体ですが、すでに人口のピークを迎えており、将来の人口減少に備えて、その基本戦略において「子育てしたいまち 次世代を共に育むまち ヨコハマ」を掲げています。そこで、子育て世帯をデジタル技術で支える具体策として、子育て世帯の利便性を向上させるサイト・アプリを開発することになりました。
「子育て世帯」には、多様なシチュエーションやニーズがあり、単一のニーズに応えるだけでは、全体を満足させることはできません。また、「子育てしたいまち」には、さまざまな要素があります。
そこで、デザイン思考によってニーズや求められる機能を明らかにし、システム思考によって現実的なシステムの基本機能を設計して、仕様を決定して開発しました。
プロジェクトは、2022年9月から企画検討・基本設計をスタートして、2023年7月からシステム開発に着手しました。当初2023年度内のリリース予定でしたが、ユーザーテストや評価に時間をかけることとなり、2024年7月に「横浜市子育て応援サイト・アプリ『パマトコ』」としてWeb版をリリース、10月にアプリ版をリリースしました。2025年2月時点で7万人以上の登録・利用があり、妊産婦や乳幼児を持つ世帯を中心に多くの子育て世帯に利用いただいています。
2. デザイン思考・システム思考の取り組み
2.1. 手法の概要
本件では、「デザイン思考」「システム思考」「ローコード開発」の3つの手法を適用しました。
デザイン思考は、ユーザーのニーズを理解して必要とされ る新しいサービスを見つけるのに有効であり、システム思考は、論理的な思考でその実現手段(ソリューション)を見出すプロセスで有効です。いずれも、これまでにない、新しいサービスを企画・設計するのに有効な思考の方法(メソッド)です。
デザイン思考では、「①観察と共感」「②課題の定義」「③アイデア出し・仮説立て」「④試作と試行」「⑤検証と評価」の5つの段階を循環させながら、必要なサービスとその実現を考えます(図 1)。①、②、③の段階は並行して行うこともあり、また③の段階から①②に戻ってやり直すこともあります。
「①観察と共感」「②課題の定義」「⑤検証と評価」では、利用者のニーズを深く理解することが必要です。今回は、一般的な方法である、先行事例の調査、ヒヤリングや現場観察、市民アンケートを通じて、妊娠中の女性や子育て中の家庭、さらには行政職員側が抱える問題を抽出していきました。

図1:デザイン思考の領域とシステム思考の領域
一方、デザイン思考のサイクルの中で、「②課題の定義」「③アイデア出し・仮説立て」の段階で使う思考方法が、システム思考です。システム思考で、アイデアを 出し・仮説を組み立て、現実的な実現手段を選択することにより、④試作・試行や⑤検証・評価のサイクルにおける成功率を高め、デザイン思考における「修正」「やり直し」などの手戻りのサイクルを減らすことができます。(図 1 デザイン思考とシステム思考)
今回の子育て世帯を対象とするサービスでは、課題の解決策(ソリューション)は一つではなく、複数のサービスを同時に提供することになります。
そこで、デザイン思考の「③アイデア出し・仮説立て」の段階で、同時に複数のサービスのアイデアを考え、一つのサイト・アプリの中に複数の機能を実装する設計を行いました。そして、「④試作と試行」では、複数の機能を検証・評価して修正すると同時に、例えば、IDやユーザー情報の共有など、複数の機能の間での使いやすさや連携も考えなくてはいけません。
こうした、機能の修正が多く発生し、かつ複雑なシステムを短期間で確実に実現するために、システムの開発手法に「ローコード開発」を採用しました。
こうして試作と試行を繰り返し、さらにユーザーテストや有識者評価による修正も加えて、デザイン思考におけるプロトタイプの試作と検証を充分に繰り返し、本サービスとしてリリースしました。
本サービスが開始している現在も、利用状況や市民からの意見から、①②の課題のフィードバックを得て、③の解決の仮説、④の修正と⑤の検証を行っており、デザイン思考による改善サイクルを続けています。
以下に具体的な取り組みの内容を説明します。
2.2. 市民ニーズの把握(デザイン思考における「①観察と共感」のステップ)
2.2.1. 観察1:既存アプリの分析
まず、先行している既存アプリにどのような機能があるかリストアップを行いました。
(1)国内の先行事例(ア プリのサービス)の分析
当時は参考となる自治体のアプリが少なかったため、国内の民間の子育て支援アプリ、母子手帳アプリについてリストアップを行いました。
基本的に先行する民間のアプリで実現されているサービスや機能は、ニーズの実績があると判断して、横浜市のサイト・アプリにも取り入れることにしました。ただし、民間サービスの多くは、利用者からの情報登録や、事業者からの情報提供が中心であり、行政サービスやその関連施設からの情報提供は限定的でした。
また、行政が事業者の民間アプリに委託して提供しているサービスにおいても、登録された利用者情報の権利が事業者側に帰属していたため、利用者情報をその健康管理などに活用したいと考えました。行政の担当課側では、事業者に利用者情報を商用転用されたり、データ活用が制約されたりするのではないかという懸念がありました。さらに、行政の側では、さまざまな情報提供やサービス追加など、民間アプリの制約を受けずに機能を拡張して活用したいというニーズがありました。
(2)海外の先行事例(アプリ・サービス)の分析
海外では、すでにさまざまな行政サービスを統合した先進的なアプリサービスが存在しています。
そこで、海外の行政アプリサービスの事例調査を行いました。
海外の行政アプリサービスの機能の特徴としては以下が挙げられます。
関連する申請/手続きは、ワンストップ化(電子決済含む)
利用者一人一人にパーソナライズした情報を提供
利便性の高さを重視した設計
民間サービスへのリンク/ワンストップでの利用及び割引クーポン等を連携
こうした機能は、国内の民間や行政のアプリにはまだ見られない機能であり、利用者にとって利便性と価値があり、横浜市のサイト・アプリの差別化の要素になると考えて、機能に取り入れる方針としました。
2.2.2. 観察2:行動の観察・ヒヤリング
先行事例の調査だけでは、まだ存在していない機能やサービスのニーズは掴めません。また、アンケート調査では、本人が意識していない(顕在化していない)課題や苦労を引き出すことが困難です。
そこで、利用者の行動を観察して隠れた課題や苦労、ニーズを見つけ出す、またはヒヤリングやインタビューなど利用者との対話を通じてそうしたニーズを引き出すことが必要になり ます。
今回の子育てのケースでは、企画・設計者自身が最近乳幼児の子育てを経験したばかりで、パートナーや他の子育て世帯を観察する機会も充分ありました。
そこで、ヒヤリングに重点を置き、自身の子育て経験や家族の意見はもちろん、市民や行政職員から子育てに関する苦労の意見、日頃市民に直接接している子育て支援施設の行政職員の意見のなかから、サービスのニーズを収集しました。(表 1)
表 1 ヒヤリングの例
※市民の意見例
※行政職員の意見例
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自身や身の回りの子育て世帯の行動の観察や、市民・職員へのヒヤリングから、例えば次のような観点での課題の「共感」が必要なことが分かりました。(表 2)
表 2 課題の例
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母子手帳や電子申請など、予め想定しているサービスや機能に加えて、上記のような観点を考慮して、追加するサービスや機能を考える際の、アイデア出し・仮説立ての参考にしました。
少数の感想・意見であっても、それまで気がつかなかった新たな課題やペイン(痛み)を見つけ、ユーザー視点に立って相手の気持ちになったとき、その重要度を知ることができます。(コラム参照)
そうして得られた課題から、次の「③アイデア出し・仮説立て」で考えた、新しいサービスやシステムの機能の案を、再びヒヤリングで示してその反応を聞くことで、「④試作と試行」にとりかかる前に、ある程度の「⑤検証と評価」を行うことができます。
Knowledge1 ユーザー視点(利用者視点・顧客視点)について ユーザーのニーズを引き出す、課題を見出す、気付くためには、相手になりきる、自分事としての気持ち(ユーザー視点・利用者視点・顧客視点)が大切です。 そのためには、自己の体験や身近な人の意見も重要な材料になります。 今回のケースでは、自分の 子育て体験から、毎週、子どもを連れていける公園やイベントを検索していたなどの印象が役立ちました。 また、パートナーを観察して、医療証や母子手帳を挟んだ重い大きなパスケースを持ち歩いているのを見ていました。こうしたペインは、本人は当たり前と気がつきませんが、指摘すると確かに大変だとの意見が得られました。 こうしたリアルな体験に基づく仮説をインタビューやヒヤリングの話題として提供すると、例えば、他にも検索したい情報や欲しい情報を聞き出したり、他にもかさばる・重いものは何かなど、共感や連想を呼び起こしたりして、さらなる深堀や派生の意見が得られることがあり、役立ちます。
![]() 図 2 顧客視点
beBit 藤井保文氏 講演資料から 「体験」を作っていくにあたって「顧客視点」が重要とされますが、顧客視点と言われて顧客の姿が浮かんだら、ビービットでは負けと言われています。顧客側の立場から見た景色・情景が見えたり、状況が想像できて初めて顧客視点です。 🄫 beBit,Inc. All Rights Reserved. www.bebit.co.jp |
2.3. 必要なサービス機能のリストアップ(デザイン思考における「②課題の定義」のステップ)
2.3.1. 目的・目標の設定
機能設計にあたり、方向性が迷走しないよう初期の段階で、明確な目的・目標を定めました。
目的とは、最終的に到達しようとする、目指すべき状態です。
目標とは、目的を達成するための指標(達成が確認できるマイルストーンや数値などの指標)です。
本件では、以下のような目的・目標を定めました。(表 3)
表 3 目的・目標の定義
■目的 横浜市の妊娠前・妊婦・乳幼児・小学校児童・中学校高校生徒の世帯・市民において、子育てしやすい・便利を実感できるサービス・情報提供をデジタルにより提供する。
■目標
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2.3.2. ステークホルダーの特定
デザイン思考でサービスを考える場合、ステークホルダーを特定することを重要視しています。最終的な受益者である利用者だけでなく、サービスを提供する側の視点も必要です。
さらに、利用者である子育て世帯から見た場合、行政機関も民間の医療機関やサービス事業者も、同じサービス提供者であり、サービス提供者の区別なくシームレスに利用できることが、利便性に繋がります。そのため、民間との連携も想定してステークホルダーに含めました。(表 4)
表 4 当初想定したステークホルダー
(市民)
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